先日、垣根涼介『信長の原理』角川書店、2018を読みました。
「信長の原理」とは、企業経営でよく言われる人材の「二・六・ニの法則」のことです。
組織の人材は、
「2割の優秀な人:組織を引っ張る人、仕事を創造している人」
「6割の普通な人:可もなく不可もない人、やるべき仕事をそつなくこなす人」
「2割の今一歩な人:組織に養ってもらっている人、他の人のフォローが必要な人」
に分かれる。
そして、「2割の優秀な人」だけを抜き出すと、全員が優秀な働きを続けるかというと、そうではなく、再び「二・六・ニの法則」に従って、優秀な人は2割となる。
また、「6割の普通な人」や「2割の今一歩な人」だけを抜き出すと、再び「二・六・ニの法則」に従って、優秀な人は2割、普通な人は6割、今一歩な人は2割となる。
本小説では、この「二・六・ニの法則」を「1:3:1」で考えることによって、織田信長は、自身の有力武将のうち、働きが鈍くなる者、織田信長を裏切る者が出てくることが説明できるのではないかと考え始めます。
一方で、織田信長に使える武将たちは、織田信長の勢いや魅力にみせられ配下になったものの、織田信長からの要求や織田信長の振る舞いに不安や恐れをいだくようになっていきます。
この織田信長から見た臣下の武将たちへの見方と臣下の武将たちから見た織田信長の振る舞いの相違が、最終的には明智光秀による
本能寺の変での裏切りへとつながっていきます。
明智光秀が謀反を起こした原因については、
明智光秀が天下を取りたかった野望説、
事前の計画はなく、織田信長が少数で本能寺に泊まっているという情報を得て、突発的、発作的に討ってしまった突発説、
織田信長に対する明智光秀の遺恨説、
朝廷の黒幕説ほか
公家の陰謀説、羽柴(豊臣)秀吉の陰謀説、徳川家康の陰謀説
など明智光秀の背後に黒幕がいたのではないかなど様々な観点からいくつかの歴史小説が書かれています。
しかし、本小説では、上記のいずれでもない理由(織田信長に対する明智光秀の遺恨説にやや近いか)で、謀反を起こすことになります。
歴史小説なのですが、企業経営にも通じる雰囲気のある小説です。
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「関ヶ原の戦い」は、豊臣秀吉亡き後、西暦1600年に東軍の徳川家康と西軍の石田三成らが戦い、徳川家康が勝利し、実質的な天下を取ることになった戦いです。
司馬遼太郎『関ヶ原』新潮文庫を原作として2017年に、石田三成役を岡田准一、徳川家康役を役所広司にて映画化されています。
この「関ヶ原の戦い」に関する歴史小説は、これまでも何冊か読んできました。
・司馬遼太郎『関ケ原(上)(中)(下)』新潮文庫
・堺屋太一『巨いなる企て(上)(下)』毎日新聞社
・池宮彰一郎『島津奔る(上)(下)』新潮社
・矢野隆『我が名は秀秋』講談社
映画「関ケ原」、司馬遼太郎『関ケ原』を観る・読むと、「関ヶ原の戦い」の実際の戦いは1日で終わるのですが、決戦に至るまでの事前の調略工作によって、戦う前に勝負を決することの重要性が分かります。
徳川家康が、豊臣秀吉亡き後、着実に調略工作を進めていく様子が描かれています。
一方で、豊臣秀吉亡き後、五大老筆頭の徳川家康(関東250万石)に対して、五奉行の一人に過ぎなかった石田三成(近江佐和山19万石)が、領地差で10倍以上であるにもかかわらず、三大老(毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝)と四奉行(増田長盛、長束正家、前田玄以)を味方に引き入れ、利害で動く多くの戦国大名を戦いに動員し、互角の戦いに持ち込んだ手法も参考になる部分も多くあるように思います。
「関ヶ原の戦い」は、徳川家康が勝利し、豊臣秀吉亡き後の実質的な天下を取った戦いであるため、勝者の視点での記録が多く残され、それが歴史の事実として伝えられている可能性もあることに留意しながら東軍の徳川家康と西軍の石田三成のそれぞれの視点からの「関ヶ原の戦い」を想像し、自分であればどう対応したかを考えると面白いのではないかと思いました。
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先日、半藤一利『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日 決定版』文藝春秋、1995を読みました。
本書は映画にもなっているので、ご存知の方もいるかもしれませんが、1945年(昭和20年)8月14日正午から8月15日正午の昭和天皇のポツダム宣言受諾の玉音放送までの1日を時系列で描いた書籍です。
太平洋戦争の終戦後の日本の歴史を知っている者にとっては、ポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争を終わらせることの決断の適格さは違和感がないように思います。
しかし、1945年(昭和20年)8月の時点で、無条件降伏することで、日本の国体が護持されるのか、日本は米国をはじめとした戦勝国に蹂躙されてしまうのではないかという不安や憤りは、現在からは想像もつかないものだったように思います。
本書を読むと、太平洋戦争を終結させるための鈴木貫太郎首相の言動や陸軍を代表し、陸軍の主張を閣議で述べつつも、最期は国を滅ぼした軍の代表者として自決するに至った阿南惟幾陸軍大臣、ポツダム宣言受諾の玉音放送で「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」と語った昭和天皇の思いなどそれぞれの立場で、日本の将来を思い、決断し行動したことが分かります。
また、クーデターを賞賛するつもりは全くありませんが、無条件降伏、ポツダム宣言受諾を良しとせず、国体護持のために、クーデターを企てた青年将校も、日本の将来を思っての決断、行動であることは感じました。
現在では、太平洋戦争の終戦、8月15日正午の昭和天皇のポツダム宣言受諾の玉音放送は、何の問題もなく、実施されたと思っている方もいるかもしれませんが、一度始めた戦争を、軍の戦争継続の意思の圧力を受けながら、終わらせることが、いかに困難で、様々な反動があったということは、記憶にとどめておく必要があると思いました。
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先日、
天野純希『破天の剣(島津家久)』角川春樹事務所、2015
天野純希『衝天の剣&回天の剣(島津義弘伝(上・下))』角川春樹事務所、2016
を読みました。
『破天の剣(島津家久)』は、戦国時代に九州の薩摩・大隈・日向の三州統一から九州制覇に至る大友宗麟や龍造寺隆信らの九州の有力大名との戦いから豊臣秀吉の九州征伐までを島津四兄弟の四男である島津家久を中心に描いた歴史小説です。
また、『衝天の剣&回天の剣(島津義弘伝(上・下))』は、戦国時代の豊臣秀吉の九州征伐以後の朝鮮出兵、関ケ原の戦いでの敵中突破(島津の退き口)などの中心となった島津四兄弟の次男である島津義弘を中心に描いた歴史小説です。
両書は、前編、後編の歴史小説としても読むことができます。
島津家の関ケ原の戦いでの敵中突破(島津の退き口)については、他の歴史小説でも描かれることは多いと思います。
しかし、九州の薩摩・大隈・日向の三州統一を成し遂げた島津四兄弟(義久・義弘・歳久・家久)が、九州の有力大名である大友宗麟や龍造寺隆信らとどのように争ったのか、
豊臣秀吉の九州征伐後にどのように対応したのか(家久は豊臣家に降伏後に急逝、歳久は豊臣秀吉の下知により自害していたことは初めて知りました)、
朝鮮出兵や関ケ原の戦いでの島津義久と義弘の考え方の違い(歴史小説のため多くの推測も入っていると思います)、
関ケ原の戦いで敗れたにもかかわらず徳川家康から所領安堵された駆け引きなど
を描いた歴史小説は少なく、非常に面白く読ませてもらいました。
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先日、伊東潤『幕末雄藩列伝』角川新書、2017を読みました。
幕末を舞台にした小説は多くあり、私もそれなりの数の歴史小説を読んでいますが、その多くは、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允(桂小五郎)、坂本龍馬、井伊直弼、勝海舟など英雄・英傑と言われる人物が中心に描かれています。
では、その時、藩はどのような動きをしていたのか、英雄・英傑と同じように動いたのか、それとも異なる動きをしていたのかについては、意外と知られておらず、歴史小説にも脇役としてしか出てきません。
本書では、幕末の14の藩の動きを描くことで、異なる視点での幕末を見ることができます。
取り上げられている14の藩は、薩摩藩、長州藩、佐賀藩、土佐藩、会津藩、彦根藩のように幕末の歴史小説にも藩名が上がるような藩だけでなく、仙台藩、加賀藩、長岡藩、水戸藩、庄内藩、二本松藩、松前藩、請西藩のようなあまり知られていない藩もあり、それぞれの藩の動きを読むことで、これまでとは異なる幕末の動きも分かるように思います。
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