中小企業診断士&ファイナンシャルプランナーのさきがけ読書録

このブログは、中小企業診断士&ファイナンシャルプランナーの就職19年目の仕事人(ビジネスマン)の読書録等です。現在、中小企業診断士、東海地域の某大学院(MBA)、行政書士(試験合格のみ)、AFP(日本FP協会認定)、2級ファイナンシャル・プランニング技能士、ビジネス実務法務2級、ビジネスマネジャー、初級システムアドミニストレータなどの資格を取得しています。

豊臣家の人々(司馬遼太郎氏歴史小説)

以前、司馬遼太郎『豊臣家の人々』中央公論社、1967 を読みました。

本書は豊臣家(豊臣秀吉)に関わる人物9名それぞれの短編歴史小説を1冊にまとめたものです。

・殺生関白
 豊臣秀吉の姉の子であり、のちに豊臣秀吉の養子となり、関白職を譲られ一時は豊臣家の後継者として扱われるが、豊臣秀頼の誕生により、厳しい立場に追い込まれた豊臣秀次。

・金吾中納言
 豊臣秀吉の正室(北ノ政所)の生家の杉原(木下)家の子であり、のちに豊臣秀吉の養子となり、さらに小早川家の養子となった小早川秀秋。
 小早川家の養子になったいきさつや関ヶ原の合戦で石田三成率いる西軍から徳川家康率いる東軍に寝返り、東軍勝利の結果をもたらすことになった記述は興味深い。

・宇喜多秀家
 豊臣秀吉が織田信長の一武将として毛利家と戦っているころ、織田家の味方となった宇喜多家直家の息子。
 のちに豊臣秀吉の猶子(ゆうし:養子に準じる子)となり、五大老の一人となる。
 関ヶ原の合戦では石田三成率いる西軍の有力武将として戦うが破れ、八丈島に流される。

・北ノ政所
 豊臣秀吉の正室。豊臣秀吉の天下取りを影で支えた才気あふれる女性。
 側室淀殿が秀頼を産んだため、秀吉死後は、淀殿を中心とした石田三成ら近江派とは距離を置き、徳川家康を頼り、加藤清正、福島正則、浅野幸長、池田輝政ら尾張派を徳川家康に協力させる役割を演じる。

・大和大納言
 豊臣秀吉の弟、秀長。非常に優れた才能を持っており、豊臣秀吉の天下取りを支えた。秀長の死後、豊臣家の政権バランスが崩れ豊臣家滅亡に傾くほどの影響力があった。

・駿河御前
 豊臣秀吉の妹、旭姫。小牧長久手の戦い後、徳川家康を豊臣家の臣下とするため、40歳を過ぎてから、秀吉によって離縁させられ、徳川家康に嫁ぐ。家康に嫁いでのち、まもなく死去。

・結城秀康
 徳川家康の側室の子。徳川家を継いだ秀忠の兄であるが、側室の子であったため、徳川家の後継者とはならず、小牧長久手の戦い後、実質的には人質として、豊臣秀吉の養子となる。才気あふれる武将となり秀吉にも愛される。のちに結城家の養子となり結城家を継ぐ。
 豊臣秀吉の死後、徳川家と豊臣家が対立する中では、家康から秀康が豊臣家に味方することを警戒され不遇な立場となる。

・八条宮
 後陽成天皇の弟。豊臣秀吉の猶子(ゆうし:養子に準じる子)となる。
 豊臣秀吉に鶴松(秀頼の兄。幼少で死去。)が誕生後、豊臣秀吉の猶子から皇室に戻る。

・淀殿・その子
 淀殿は、織田信長の妹お市の方と浅井長政の間に生まれる。
 実父・浅井長政は、織田信長によって攻められ落城自害。
 織田信長死後、お市の方が嫁いだ柴田勝家は、豊臣秀吉によって攻められ落城自害。このため、淀殿は2度の落城を経験することになる。
 のちに豊臣秀吉の側室となり、鶴松(秀頼の兄。幼少で死去。)、秀頼を生み、豊臣家の中での地位を高める。
 石田三成ら近江派の中心的存在であったが、関ヶ原の戦い後の豊臣家の位置づけを理解しきれず、秀頼とともに大阪城にて落城自害する。
 

豊臣秀吉については、百姓の子から天下を取った成功物語が有名です。
しかし、親族には恵まれず、その死後、20年も経たず豊臣家は滅亡してしまいます。

歴史上は脇役ともいえる豊臣家の人々を描いた本書は、豊臣家の陰の部分を描いた作品といえます。

豊臣秀吉、織田信長、徳川家康の天下取りの物語と合わせて読むことによって、歴史の深みを感じることができると思います。

お勧めです。

豊臣家の人々 (角川文庫)豊臣家の人々 (角川文庫)
(2008/02)
司馬 遼太郎

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